鉄舟寺はもと久能寺と称し今の久能山山頂にあったのですが、武田信玄の駿河侵攻にあってこの地に移転させられました。
  明治初期、廃寺同前だった寺を、山岡鉄舟と有志の手により再興し、名前も鉄舟寺と改めました。
  本尊は愛染明王ですが、与謝野晶子の歌にもある如意観音像が有名です。他にも国宝の久能寺経、重要文化財の銭杖、源義経ゆかりの横笛「薄墨」、舞楽面陵王、久能寺縁起、宮本武蔵の描いた絵など多彩な寺宝があります。


住  所   清水村松
交  通   清水駅からバス忠霊塔方面行き「鉄舟寺」下車
電話番号  0543-34-1203
時  間   9:00〜16:00
休  日   無休
料  金   大人300円、子ども150円


 



山岡鉄舟 1836〜88 
幕末期の剣客、明治期の政治家。通称は鉄太郎、本名は高歩(たかゆき)。幕臣の小野朝右衛門の5男に生まれる。幼少は父の赴任地飛騨でそだち、このとき高山で井上清虎に一刀流の剣術をまなんだ。のち、槍術家の山岡静山の妹と結婚し、山岡家をつぐ。静山の弟が幕臣、高橋泥舟(でいしゅう)で、勝海舟とともに幕末三舟とよばれた。やがて幕府の講武所で剣術を指南し、1863年(文久3)から浪士組(のちの新選組)の浪士取扱いとなり京都に赴任するが、攘夷派(→ 尊王攘夷運動)の清川八郎らと対立し、江戸にもどる。
 1868年(明治元)徳川慶喜の警固にあたる精鋭隊頭に任じられ、慶喜が恭順の意思をしめしていることを官軍に知らせるため、勝海舟の使者として、駿府の西郷隆盛のもとへ単身むかい、徳川家の存続を説いた。これにより、勝と西郷の会見が成立し、江戸開城への道が開かれることになった。
明治時代になると、静岡県権(ごん)大参事、茨城県参事、伊万里県知事を歴任。1873年からは明治天皇の側近として侍従や宮内少輔(しょうゆう)などをつとめた。また、この間、無刀流を創始して道場も開いている。