東海道五十三次のうち十七番目の宿場として栄えた興津は、興津郷と称されていました。
興津という地名が現在正式地名とされていますが「奥津」「息津」「沖津」とも書き、ともに「おきつ」と読みます。地名のいわれは「宗像神社」 の興津宮を当地に勧請したことに由来するというのが正しい説とされています。当郷は平安時代末期より代々 「興津氏」 の知行地で鎌倉幕府からその知行を安堵され(任され)ています。応永三十年八月(−畠∽)に今川範政に「駿河国興津郷興津宿在家内本知行」とある、興津彦九郎が今川氏親から本知行とされています。興津氏はもともと、今川の水軍であったと推定され、興津氏の名前がそのまま地名になったという説など諸説があります。 |