磐城山が薩た山と改められたのは、文治元年(1185)由比・倉沢の浜で小さな石の地蔵尊が漁師のアミにかかって引き上げられ、奇瑞だというので山頂にお祀りしました。それ以降の呼称です。
以来、数百年山上にありましたが、今は興津側の東勝院に移されて三年に一度だけ開帳される秘仏とされています。開帳の年は何の因縁によるのか、丑・辰・末・戊とされています。
江戸末期の文久二年(−∞のN)に皇女和の宮が、十四代将軍徳川家茂に降嫁の際、道を東海道に
するか中仙道に選ぶかで議論があったそうですが、東海道は、今切れの渡し(浜名湖)と薩た峠があるために中仙道が選ばれたという話もあるほどです。
この峠道は、今では、ハイキングコースとして整備されていますが、これがかって大名行列の通った東海道の幹線道路とは信じられません。道の片側を注意してよく見ると、みかん畑の奥に一部分石垣が残り、一段高くなっていてそこまでが昔の道巾であったことがわかります。
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