昭和20年頃三保の松原望む





西園寺公詳細





坐漁荘
  最後の元老西園寺公望公が、晩年過ごされた別荘である。
坐漁荘の名の云われは渡辺千冬子爵の命名であり、中国の呂尚(太公望)の故事に因んでいる。
大正八年に完成して以来、昭和十五年、西園寺公が92歳でなくなるまでの22年間の住居であった。その間、唯一人の元老として天応の諮問に奉答し、歴代の総理の多くが推挙された。また、当時国の重臣が坐漁荘を訪れ政治について西園寺公に相談した事から「興津詣で」とまで言われた。
当時の坐漁荘の居間からは、遠くかすむ伊豆天城の連峰、目前には三保松原が見渡せ、更に砂浜に引き揚げられた漁船や千し網の近景が庭越しに広がっていた。

西園寺公の死と、その後の坐漁荘
  西園寺公は、昭和5年11月24日に坐漁荘で死去しました。12月5日、国葬が執り行われ、その後、世田谷の西園寺家墓地に葬られました。
 『その後の坐漁荘は、高松宮殿下に献上されたが、終戦後徳川家を通じて西園寺公一(公の孫)に戻されました。公一氏は、事情があって豪州のバイヤーに売却しましたが、この話を聞いたイギリス大使館の参事官レッドマン氏が買い上げ、昭和26年、財団法人西園寺記念協会の設立となりました。〜』
(増田荘平「坐漁荘秘録」より)

 『昭和43年〜坐漁荘の建物は傷みが激しくなりました。同年11月、明治村への移転の話がまとまり〜跡地は公園にして記念碑を立て、地元が記念館を建設するときは相談にのることが合意されました。翌44年10月、家具や調度品が運び出された後、建物を測量、記号を つけて解体し、45年6月、明治村3号地に移転復元されたのです。』(清水市史第3巻より)

住  所 :清水興津清見寺町115番地
交  通 :JR清水駅からバス三保山の手線・清見寺前下車
        またはJR興津駅から徒歩15分
休館日  : 毎週月曜日 年末年始
開館時間: 平日 :午前10時〜午後5時
        土日祝 :午前9時30分〜午後5時30分
入館料  : 無料



建築概要
  敷地面積=1、009平方メートル (305坪)
  延べ床面積=296平方メートル (90坪)
  構   造=純木造数寄屋造り二階建
  施設構成=主屋・展示棟、受付棟





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